イーストウッド監督 映画「リチャード・ジュエル」白人社会にある影とは何か?『女性』記者のステレオタイプ化のカウンター


映画『リチャード・ジュエル』本予告 2020年1月17日(金)全国ロードショー

邦題:リチャード・ジュエル

原題:Richard Jewell

製作国:アメリカ(2019年)

日本公開日:2020年1月17日

監督:クリント・イーストウッド

 

俳優と監督を両立させるイーストウッドの監督作品です。

代表作は、「ダーティハリー」、「ミリオン・ダラーベイビー」、「アメリカン・スナイパー」など多数。

今年90歳を迎える彼はまだまだ現役で映画を撮り続けています。

昨年日本公開の「運び屋」は監督兼主演をしました。

 

実話を元にしたストーリーに散りばめられたメッセージ、劇中の女性ジャーナリストへのステレオタイプ化の物議を考え、疑問を投げています。

※この作品は現在、全国上映中のためネタバレを含みます。

 最終更新日:2020年1月30日

 

――――

目次

 

1.「リチャード・ジュエル」のあらすじ

 

アメリカン・スナイパー」の巨匠クリント・イーストウッドが、1996年のアトランタ爆破テロ事件の真実を描いたサスペンスドラマ。96年、五輪開催中のアトランタで、警備員のリチャード・ジュエルが、公園で不審なバッグを発見する。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。多くの人々の命を救い一時は英雄視されるジュエルだったが、その裏でFBIはジュエルを第一容疑者として捜査を開始。それを現地の新聞社とテレビ局が実名報道したことで、ジュエルを取り巻く状況は一転。FBIは徹底的な捜査を行い、メディアによる連日の加熱報道で、ジュエルの人格は全国民の前で貶められていく。そんな状況に異を唱えるべく、ジュエルと旧知の弁護士ブライアントが立ち上がる。ジュエルの母ボビも息子の無実を訴え続けるが……。主人公リチャード・ジュエルを「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」のポール・ウォルター・ハウザー、母ボビを「ミザリー」のキャシー・ベイツ、弁護士ブライアントを「スリー・ビルボード」のサム・ロックウェルがそれぞれ演じる。 

 

引用元:映画.com 

 

2.リチャード・ジュエルの人物像と白人社会

 

ジョージア州に住むリチャード・ジュエルは、司法を信頼し、正義感が強い30代白人男性。彼は何もせずに暮らしていれば一般的な市民であり、普通の人だった。だが、五輪期間中に爆弾入りの不審物を発見し、混乱する市民を守った彼はメディアに注目されて普通の人から一躍英雄になる。そんな栄誉もつかの間、3日後にはFBIの疑惑の男としてメディアに取り上げられた。

彼はメディアに奉られてメディアに叩かれた。単なる白人男性から、メディアはリチャードを『孤独な白人男性』と作り上げる。

ジョージア州は黒人の割合が他の州の平均と比べて高い。しかし、目立って映画に出てくるのはほとんど白人。FBIも、リチャード周辺の人物も皆白人だ。これは映画はむしろ意図的に白人社会を作っているように見えてくる。

FBI・弁護士・メディアといったエリート・インテリ層は白人で占めている。目立つ非白人(白人の定義は難しいが)は黒人の2組。1人は弁護士であるワトソンに辛辣に責め立てるテレビ司会者と被害者である。後者の被害者の中に黒人の母娘がいて、それはリチャードの悪夢にも出てくる。彼女たちは何を暗示させるのか。彼女はリチャードが守りきれなかった者たちであり、リチャードは守りきれなかった後悔を持つ。

イーストウッドの前作である「運び屋」ではヒスパニックが警察に呼び止められ、イーストウッド本人はスルーされていた。このような『人種プロファイリング』(アメリカでは人種もしくは年齢で職務質問を行い、主に若い黒人もしくはヒスパニック男性が多い)を効果的に見せていた。だからここにも意味があると思う。

人種プロファイリングに浮かび上がる影は偏見である。リチャード・ジュエルの人物像に話を戻して照らし合わせる。リチャードは正義感の強さゆえに職場でトラブルを起こす。問題を起こす男はきっとまた問題を起こすだろうし、クビになったから社会に恨みを持っているだろう、などの勝手な妄想が独り歩きしていった。そして独り歩きから生まれた偏見がリチャードにプロファイリングされ、「面白く」メディアに晒された。

日本における少女趣味の男性も、疑いの目を向けられれば世間に悪意を持って晒される。リチャードの経験は日本の彼らの風評被害と似ている。

 

3.『女性』記者のステレオタイプ

 

アメリカで炎上しているという、劇中の女性記者キャシー・スクラッグス(故人)についての描かれ方を考える。事実と映画における虚構を区別しなければならない。劇中ではFBIの男性と性的関係を思い起こさせる描写があり、これは事実ではないと新聞社が訴訟すると脅した。だが、ワーナーも脚本家のビリー・レイも映画を擁護した。実在する彼女はすでに亡くなっている。私は彼女の素性を映画の中しか知らないので、この件は事実かどうかのコメントは控えたい。

炎上はさらに「作り上げられたもの」に矛先が向く。「事実を基に作られている」ということは、虚構もある。キャシーの女性記者としてのステレオタイプ化が問題視されている。女性記者のステレオタイプとは何か。それは枕営業、つまり、スクープの為なら関係者と性交渉をすることだ。キャシーはリチャードと相対化されている。現実の彼女が枕営業をした・しないに関わらず、女性記者は枕営業してスクープを取るというステレオタイプをあえて映し、リチャードを第一発見者・孤独な白人というステレオタイプ化させたメディア・世間を批判している。

 

4.メディア・マスコミは何を伝えるべきか

 

メディアリンチされ、司法の権力に屈しかけたリチャードは最後に自分の口で語る。第一発見者である自分が罪を認めたら、いつかリチャードのように第一発見者が不審物を見つけたとき、その人は見て見ぬふりをするかもしれない、とリチャードは言った。この視点はメディアにおける重要な視点であると思う。ニュースの使命は、犯人を伝えることではあるが、「もし、そのような場面に自分も出くわしたらどう行動すべきか」を伝えることも重要である。読者も、ただ恐ろしいニュースに胸を痛めたり恐れたりするだけではなく、適切な行動は何かを考えることも大切であろう。

 

5.「リチャード・ジュエル」についてのまとめ

 

私の考察は浅学なところもある。だが、イーストウッドの作品(少なくとも近年の)はアメリカ社会にある理想の歪み(影)を巧妙に映し出している。

この記事を書くことにあたり、イーストウッドのインタビュー記事をいくつか読んだ。興味深い記事を抜粋する。

 

eiga.com

www.huffingtonpost.jp

www.newsweekjapan.jp

――――

書き切れなかったのですが、弁護士ワトソン役のサム・ロックウェルや、第92回アカデミー賞助演女優賞』ノミネートしたリチャードの母ボビ役のキャシー・ベイツも名演でした。FBIの証拠を捏造しようとしたシーン、リチャードの現在と過去の栄光など、語り切れないシーンがありました。女性の描き方は「運び屋」でも思ったのですが、離れたところに置かれると感じました。

もっとアメリカ社会状況を勉強していき、内容の濃い記事を作っていきます。

イーストウッド監督主演の2019年日本公開作品。

人種プロファイリングが巧みに表現されています。 

 

 何かあれば暫定的にマシュマロ置いておきます。